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普通の一国民が政治問題に取り組んだ記録と雑感です。週に1~2回の不定期更新。
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これまで行なってきた政治活動を通じて、たくさんの方と知り合えました。
その中には当初は一活動家であったにもかかわらず、その後、政治家になった方もいらっしゃいます。

その方は民主党に所属しています。
私は民主党は支持していませんが、その方とは政治信条が似ているため、同じ志を持つ者と思いずっと支持してまいりました。

政治家になってからの発言ではいささか疑問に感じる点がありましたが、魑魅魍魎が跋扈する世界に身を置いていては本音を隠さねばならないこともあろうと思い、何も申さずに只々信頼していました。

ところが最近のその方の発言は、一貫して野党の批判です。
元々その方は、自民党憎しと思われていた節がありました。
いまだに右記思いを抱き続け、民主党の悪しき点に気づかないようであれば、もはやこの方を支持することはできません。(なお、私は自民党支持者でもありません)

今は政治闘争はやめて、政策論争をするときです。
あなたはもう、党の色に染まってしまったのですか。
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終戦の日の本日、神戸護国神社に参拝しました。
私達を命懸けで護ってくださった英霊に感謝するとともに、これからは私達が日本を護っていくとの誓いを立ててまいりました。

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愛国心という言葉に、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。
「右翼」や「軍国主義」、中には「戦争好き」といったイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
これは日本の戦後教育をはじめとする、アメリカや特定アジア(中国、朝鮮)の印象操作に日本人が見事にやられてしまったせいであるのですが、それはさておき、今回は愛国心というものについての個人的見解を述べようと思います。

皆さんにはご家族や恋人、それにご友人のように大切な人がいらっしゃいますよね。
その人達と付き合う際、何か利害関係があってお付き合いをされていますか。

背が低いから付き合わない。
学歴がないから話をしたくない。
ルックスが悪いから一緒にいたくない。

愛する人に対しては、そのようなことは考えませんよね。
その人がどのような人であっても、全て受容して大切に思うことが、愛するということです。

これを国に置き換えるとどうなるでしょう。
国内を見渡せば、色々な人がいます。
自分と違う考えの人はもとより、どうしても理解出来ない思想を有する人や、嫌いな宗教を信仰している人もいます。
有事の際、そのような人達を区別して、自分の好きな人だけを護ることが愛国心でしょうか。
そうではなく愛国心とは、有事の際に自分がどんなに嫌いで、ともすれば敵対している人であったとしても、日本人であれば例外なくすべての人を命懸けで護れることを意味するのではないでしょうか。
かつて私達の先輩方が護ってくださったときはそうでした。

愛国心を持つことは、いけないことでしょうか。
愛国心と口にすることすら何かはばかられるこの国は、英霊が命を賭して護り、先輩方が望んだ国なのでしょうか。

日本はたった一度戦争に敗れただけで、いまだ自立心を取り戻せずにいます。
保守派の方達の中にも、日本にはアメリカの力が不可欠であると言われる方がいます。
日米同盟は確かに重要ですが、アメリカに依存をすることなく、日本が独立した国たることが先輩方が望んだ国の形であると私は思うのです。
そして愛国心を有するということは、真正保守たる証でもあると、私は思います。
自らの思想を訴えたいがために、苦しんでいる方達を利用する団体や人間がいます。
最近では保守やリベラルを問わず、震災の被害に遭われた方達を慮るような人達の発言の中に、イデオロギーが垣間見えるような気がします。

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6月9日、スペインの国際賞授賞式で、作家の村上春樹さんがスピーチを行われました。
そこで村上さんは、このようなことを話されました。

『広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です』

慰霊碑に刻まれているこの言葉、違和感を感じるのは私だけではないでしょう。

いまから66年前の8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。
そして三日後の8月9日には、長崎にも投下されました。
日本は被爆国、被害者なんです。
被害者たる日本が、一体どのような「過ち」を犯したというのでしょう。

日本は第二次世界大戦で敗れた後、自虐史観をベースにした教育がなされてきました。
そのため所謂、知識人とよばれている方達の発言の中にもしばしば、自虐思想を垣間見ることがあります。

村上春樹さんがどのような意図で慰霊碑の言葉を引用したのかは知る由もありません。
ただ、原発に反対する人達の中には、思想ありきで反対の声を挙げている人がいるということを知っておくべきだと思います。
同じ原発反対であっても、保守とリベラルではその目的が違うのです。
昨日は統一地方選挙の後半戦が行われ、テレビではその結果を順次伝えていました。
そしてモニターには当選した候補者が、後援会の方達と万歳三唱をする様が、度々映し出されます。
選挙の結果を伝えるテレビ番組でおなじみのこの場面、皆さんはどのように思われますか。

政治家は、私心を捨てて公益のために尽くさねばなりません。
これから地域住民の奉仕者として仕事に取り組まねばならないのに、ここで喜んでいる場合ではないのではないでしょうか。

また当選時のインタビューでは、後援会をはじめ、選挙まで支えてくれた人たちに対しての感謝の気持ちを述べる方もいらっしゃいます。
しかしこれは、個人的事情です。
ここでは私的な事情を述べるのではなく、地域住民に向けてのメッセージを伝えるべきだと思います。

政治家が喜ぶべきときは当選をしたときではなく、公益のために仕事をなし、その結果を受け取った地域住民や国民が納得をしたときであると私は考えます。
今週末、統一地方選挙の後半戦が行われます。
現在、各地域ではたくさんの候補者が選挙で勝ち残るべく、様々な手段を用いて戦っています。

候補者は自分の色を出すために、キャッチフレーズを考えます。
そのキャッチフレーズではしばしば『変える』という言葉が見受けられます。

「街を変えます」
「政治を変えます」

これまで多くの候補者が用いてきたであろうこの言葉、私は違和感を感じずにはいられません。

この国の主人公は私達です。
政治は一部の人達、特定の団体、政治家自身のために行われてはなりません。
国民誰ものために行われるのが政治なんです。

では、政治を変えるのは誰でしょうか。
私達の力によるものです。
それを政治家単独の力により政治が変わるとするならば、それは政治が政治家のものであることに他なりません。

そしてこの『変える』という言葉は、ともすれば国民を否定することになるのではないかと、私は考えます。
現在あるこの政治体制をつくりだした国民の意識・思想を変えて、政治家の考える政治体制にする、という意識が垣間見えるのです。
かつて学生運動が盛んだった時代、活動家は「革命」というキーワードを用いて、あたかも自分達が政治的エリートの思想の持ち主であるかのように活動を展開していきました。

私は政治体制がいかなるものであろうとも、また、有する政治思想がいかなるものであろうとも、絶対に日本人を否定することはありません。
政治の歪みは、政治に無関心な人が増えたことに起因していると考えているからです。

政治を動かすには、何も「変える」必要はないんです。
日本人が目を醒まし、日本人が積極的に政治に関心を持つようになれば、日本は「変わる」のではなく、もとの正常な状態に「戻る」だけです。
私は日本人の有する良識というものを信じています。
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